補足

神様の選びと人間の応答

私たちは、イエス・キリストがすべての人の罪を負って十字架にかかり、贖いの代価として罪のない血を流してくださったと信じます。私たちは、キリストの犠牲の死と復活を通して、救いの道はすべての人に開かれており、イエス・キリストを受け入れる人は、ただ恵みによって、だれでも罪赦され、罪と滅びから救われ、永遠のいのちが与えられ、神の子どもして生きる特権が与えられると信じています。聖書は創造主の確かな選びについて教えていますが、同時に、人間がその選びに応え、イエス・キリストを通して、神様との交わりの中に生きるように求めています。

聖霊の満たし

聖霊は、神のみことばの理解、交わり、祈り、宣教、すべての領域で神の御心を示し、私たちを導き、教会を励まし、人間の理解を超えた方法で助けてくださる方です。 教会によって、聖霊のバプテスマの定義は異なります。聖霊のバプテスマの文字通りの意味は、私たちが神の霊に浸され一つとされることです。私たちは、聖霊のバプテスマをどう定義するかよりも、「日々、聖霊に満たされ、聖霊に従って生きることの大切さ」を強調します。

聖霊の賜物

私たちは、聖書に述べられている聖霊のすべての賜物が今も継続していると理解しています。同時に、それらが聖書の指針に従って用いられるならば、今日においても有効であると信じます。 私たちは、より豊かに聖霊が働かれることを願い、求めますが、奇跡や啓示、超自然的な賜物を追求することを信仰生活の中心におくべきではないと考えます。むしろ、神の家族とともに礼拝し、互いに仕え合い、みことばから学び、日々聖霊とともに歩み、キリストの証し人として生きることの大切さを強調します。

使徒的働きと預言者的働き

私たちは、教会の歴史の中で、今に至るまで、使徒的な働きによって、困難な地域での宣教の働きが飛躍的に開かれてきたことを認めます。また、罪から離れ神に立ち返るように呼びかけた預言的働きによって教会や社会に霊的な覚醒がもたらされてきたことを認めます。しかし、このような働きをした人々は、自分たちを使徒、預言者と呼ぶことはしませんでした。私たちは、広い意味での使徒的な働き、預言的な働きを認めますが、新約聖書の土台となった使徒や預言者と同等の働きが現代に回復されるとは考えません。

信仰

信仰とは、どんな時にも、良き天の父に信頼して歩み続けることです。神の子どもされた私たちは、天の父に、遠慮なく自分のたちの必要を訴え、願いを聞いていただくべきです。しかし、私たちにとって一番大切なことは、天の父を礼拝し、天の父の御心を受け取ることです。天の父の願いとは、私たちをご自身の願う姿に造り変え、私たちを通して、愛と聖さに満ちたご自身の姿をこの世界に現わすことです。天の父の御心が、私たちの願いと異なってる時もあると思います。それでも、良き天の父に信頼して歩むことが信仰です。私たちの祈りや告白によって、私たちの願い通りに神様を動かそうとすることが信仰であるとは考えません。

終末と再臨

キリストの再臨は歴史的キリスト教会が受け入れてきた基本信条に含まれています。正当な信仰に立つ教会が堅持している教理ですが、終末の時代、千年王国、艱難時代、反キリスト、イスラエルと教会の関係、再臨のタイミングについては様々な見解があり、教会間で決して統一された解釈があるわけではありません。私たちは、それぞれの信仰を尊重しつつ、教会としては、前千年王国説を支持し、終末時代におけるイスラエルの民族的な救いを信じ、教会に最後まで福音を伝える役割が与えられているという理解に立っています。