グレイスハウス
グレイスハウスは東京の郊外、府中市にあるプロテスタントの教会です。日曜日にも、皆で集まって礼拝を持っていますが、小さなグループでの集まりや、オンラインでの集まりも大切にしています。私たちは、特定の教団には所属していませんが、聖書の理解や教会のあり方について考えの近い複数の地域教会、グループ、宣教団体とのつながりを大切にしながら活動しています。
私たちの願いは、教会につながる一人ひとりが、毎日の生活の中で、神様を愛し、周囲の人々を愛し、イエス・キリストの姿を現わしていくことくことです。私たちは、家庭に、職場に、地域に、日本に、世界に神の国の福音が伝えれら、一人でも多くの人が、イエス・キリストともに歩む人生へと招かれることを願っています。
福音
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)
イエス・キリストを信じ、人生の主として受け入れるなら、だれでも、ただ恵みによって罪赦され、救われ、神の子どもされ、永遠のいのちが与えられる。この聖書のシンプルな救いのメッセージ(福音)は2000年たった今も変わっていません。「イエス・キリストはすべての人を救いに招いておらる。」これが私たちの伝えたいメッセージです。
クリスチャン
イエス・キリストを信じ、人生の主として受け入れ、神の子どもとされた人々を、聖書はクリスチャン(キリスト者)と呼んでいます。聖書に登場するクリスチャンたちは、普段の生活の中で、どこにいても神を愛し、周囲の人々を愛し、福音を証しする人たちでした。
新約聖書では、「キリストから学ぶ者」あるいは「従う者」を意味する「弟子」という呼び名の方がはるかに多く使われています。当時のクリスチャンたちは、困難な状況の中に置かれても、喜びと希望を持って、イエス・キリストとともに歩み続けた人々でした。私たちもそのようなクリスチャンでありたいと願っています。
私たちが教会です
聖書は、クリスチャンの家族的な集まり(コミュニティー)を「教会」と呼んでいます。聖書に登場する教会のほとんどは家の教会でした。当時のクリスチャンたちは、それぞれの地域で自分たちの家に集まって礼拝を持っていました。聖書を読むと、「教会」が日常に根差したクリスチャンのコミュニティーであったことが分かります。私たちも日常に根差し、コミュニティーに根差した教会でありたいと願っています。教会は建物でも、組織でもなく、神様の招きに応えた人々の集まりです。つまり、私たちが教会です。
私たちは、同じイエス・キリストを主として信じているならば、言語や文化、所属するグループが違っても、すべてのクリスチャンが兄弟姉妹であり、一つの神の家族とされていると信じています。